家庭教師として子どもたちと関わっていると、どうしても「この子は、なぜこういう行動をするんだろう」と考えることがあります。
特に、ASD(自閉スペクトラム症)のある子どもたちについて、以前から僕の中に一つの仮説がありました。
それは、
「もしかすると、先が見えないことへの不安があって、その不安を抑えるために、決まったパターンや規則を求めているのではないか」
ということです。もちろん、ASDの特性は一人ひとり違います。ただ、最近の論文などを読むと、この直感はあながち的外れでもなさそうです。「不確実なことへの苦手さ」と「パターンの反復」には、強い関係があるからです。
もし、明日が「34時間」あるとしたら?
想像してみてください。
僕たちは「明日もおそらく24時間だ」と当たり前に信じています。
でも、もし昨日は16時間だったのに、今日は34時間あるとしたら。
明日、一体何が起こるのか分からなかったら。
「どうして昨日と違うの?」
「次は何が起こるの?」
「いつ終わるの?」
そんな状態が続いたら、きっと僕たちだって怖くてたまらなくなるはずです。だからこそ、分からない世界の中で「こうすれば大丈夫」というパターンを見つけようとするのは、とても自然な生存戦略なのかもしれません。
外から見れば「こだわり」に見える行動も、本人にとっては自分を安心させるための大切な命綱なのです。
「なんでそんなことにこだわるの?」ではなく、
「このこだわりは、この子の何を安心させているんだろう?」
と考えてみる。それだけで、子どもとの向き合い方は少し変わるはずです。
「才能」という言葉の裏側にある現実
ASDのある人の中には、特定の領域で非常に高い能力を発揮するケースがあります。
しかし、「才能があるから大丈夫」というほど現実は甘くありません。
学校に馴染めない、コミュニケーションが苦手、ルールに固執してしまう……。
そういう部分ばかりが目立つと、その子の持っている価値が見えなくなってしまいます。
むしろ難しいのは、「その子が輝ける場所に、どうやってたどり着くのか」ということです。
才能があったとしても、それを評価してくれる場所に出会えなければ、その才能は本人にも周囲にも見えないままになってしまいます。
「学校に合わせること」だけが正解じゃない
実は、僕自身も昔から「変わっている」と言われることがありました。
「自分はどこにいればいいんだろう」と悩むのは、思っている以上に苦しいことです。
だからこそ、僕は子どもたちに「学校に合わせること」だけを求めたいわけではありません。
今いる場所でうまくいかないことと、その子自身に価値がないことは、絶対にイコールではありません。
その子が安心していられる場所。
その子の得意なことが認められる場所。
その子が「ここにいていい」と思える場所。
そういう場所は、社会のどこかにきっとあります。ただ、そこに一人でたどり着くのは、とても難しい。
「一緒に探そう」と言える存在でありたい
だからこそ、誰かがそばにいてあげることに意味があるのだと思います。
「こうしなさい」と引っ張るのではなく、「一緒に探してみよう」と言ってくれる人の存在です。
僕自身も、そういう人に出会えたから今ここにいます。
家庭教師として勉強を教えること以上に、「その子が安心して前に進めるように、隣にいること」。それが僕の本当の仕事だと思っています。
すぐに答えは見つからなくても、一人で抱えなくていい。
一緒に悩んで、一緒にその場所を探していけばいい。
そんなふうに、子どもたちと関わっていけたらと思っています。
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