「宿題しようか」

「あとでやる」

少し待って、もう一度声をかける。

それでも始めない。

時計を見ると、もう夕食の時間が近づいている。

このあと、お風呂もある。明日の準備もある。

最初は穏やかに声をかけていたのに、だんだん言い方が強くなる。

「何回言ったらやるの?」

そんなやり取りに、心当たりのある方もいるかもしれません。

前回の記事では、宿題を始められない子を「やる気がない」の一言で片づけず、どこで止まっているのかを考えたい、と書きました。

今回は、そこからもう少し考えてみたいと思います。

宿題をしない。

大人から見れば、同じ行動です。

でも、その子の中で起きていることは、同じとは限りません。

そして、その理由を一緒に考える役割を、親だけが担わなくてもいい。

僕は、そう思っています。


「しない」の中に、何があるんだろう

例えば、今やっている遊びが、ものすごく面白いのかもしれません。

作りかけのものがある。

友達と、ようやく面白い遊び方を見つけた。

あと少しで、自分のやりたかったことができそう。

大人には「まだ遊んでいる」と見えても、本人にとっては、今すぐ手放したくない時間なのかもしれません。

あるいは、宿題が難しいのかもしれない。

疲れているのかもしれない。

分からないことを、知られたくないのかもしれない。

「言われたからやる」ということに、引っかかっているのかもしれません。

宿題をしないのは、何かのメッセージかもしれない。

ただ、これは、子どもがわざと何かを訴えているという意味ではありません。

本人にも、理由をうまく説明できないことはあると思います。

それでも、その行動には、今その子が何を大切にしていて、何に困っているのかを知る手がかりがある。

すぐに「怠けている」と決める前に、そこを知りたいと思うのです。

自分で決めたい、という気持ちもあるかもしれない

「今やろうと思ってたのに」

そう言われると、大人は困ります。

「だったら、言われる前にやればよかったでしょう」

と言いたくなる気持ちも分かります。

本当にやろうと思っていたのかどうかも、外からは分かりません。

でも、そこで一つ考えてみたいことがあります。

その子は、宿題そのものだけでなく、自分の行動を誰かに決められることが嫌なのかもしれません。

いつ始めるか。

何から取りかかるか。

どこまで自分の力でやってみるか。

大人から見れば小さなことでも、本人にとっては、自分で決めてみたいことなのかもしれない。

もちろん、反抗しているように見える行動を、すべて「自立の表れ」と説明することはできません。

ただ、

「言うことを聞かない」

で終わらせる前に、

「この子は、何を自分で決めたいんだろう」

と考える余地はあってもいいと思います。

大人には近道が見えていても

親は、子どもよりも多くの経験をしています。

今のうちに終わらせれば、あとでゆっくり遊べる。

後回しにすると、寝る時間が遅くなる。

毎日少しずつやった方が、あとでまとめてやるより楽になる。

その先に起きそうなことが、ある程度見えています。

だから、教えてあげたくなる。

困らないように。

失敗しないように。

自分と同じ苦労をしなくて済むように。

先に声をかけるのは、子どもを大切に思っているからでもあるはずです。

でも、子どもには、まだその先が見えていないことがあります。

説明を聞いても、実感がない。

言っていることは分かるけれど、今は別のことをしたい。

自分のやり方で試してみたい。

大人には近道が見えていても、子どもには、そこを通ることに納得するまでの時間がある。

しかも、大人がよいと思う方法が、今のその子に合うとは限りません。

だから、本人が何に引っかかっているのかを知ることが大切なのだと思います。

ただ、その時間を毎日つくれるかというと、話は別です。

分かっていても、待てない日がある

仕事で疲れて帰ってきても、夕食を作らなければならない。

食器を片づけて、お風呂に入れて、明日の準備をする。

ようやく一つ終わったと思ったら、まだ宿題が残っている。

時計を見ると、もう寝る時間が近づいている。

そんな中で、

「どうして宿題をしたくないんだろう」

と、毎回落ち着いて考えるのは、簡単なことではないと思います。

待ってあげたい。

頭ごなしに言いたくない。

子どもにも、子どもの気持ちがあると分かっている。

それでも、何度声をかけても動いてくれなければ、

「もう、早くして」

と言いたくなる日もあるはずです。

今日こそ怒らずにいようと思っていたのに、また強く言ってしまった。

あとになって、

「あんな言い方をしなくてもよかった」

と、自分を責めてしまうこともあるかもしれません。

そんなときに「もっと子どもの気持ちを聞きましょう」と言われても、

「それが大事なのは、分かっている」

と思う方もいるのではないでしょうか。

子どもを大切に思っていることと、いつでも穏やかに向き合えることは、同じではないと思います。

だから僕は、この記事で、親が頑張ることをもう一つ増やしたくありません。

親ではないから、聞けることもある

僕は学童で子どもたちと関わっています。

でも、そこで一緒に過ごすことと、家庭で朝から夜まで生活を支え続けることは、同じではありません。

その違いを忘れて、外から「こうすればいい」と簡単に言いたくないのです。

親以外の大人なら、その日の食事や家事、寝る時間まで、すべてを同時に考えずに関われる場面があります。

だから、少し立ち止まって、

「何をしてたの?」

「それ、どこが面白いの?」

「宿題の何が嫌なんだろうね」

と聞けることがある。

それは、その人の方が優しいからでも、子どもへの理解が深いからでもないかもしれません。

そのとき背負っているものが違うから、持てる余裕も違う。

その余裕があることで、見つけられるものもあるのだと思います。

もちろん、普段の小さな変化や、言葉に出ない気持ちに気づけるのは、親だからこそ、という場面もあるはずです。

親が知っている姿がある。

家庭の外で見せる姿もある。

それぞれの場所で見えたことを持ち寄れたら、一人で考えるより、その子を理解する手がかりが増えるのではないでしょうか。

「分かったつもり」にならないために

ただ、ここは僕自身も気をつけたいところです。

「この子は、自分で決めたいんだな」

そう思ったとしても、それが合っているかは分かりません。

実際には、問題が難しいだけかもしれない。

友達との間で嫌なことがあって、宿題どころではないのかもしれない。

大人が納得できる説明を見つけても、それが本人の気持ちとは限りません。

だから、行動を読み解くというのは、大人が隠れた正解を当てることではないと思っています。

落ち着いたときに、本人に聞いてみる。

うまく答えられなければ、急いで結論を出さない。

どんなときなら取りかかりやすいのか、一緒に確かめてみる。

理解したつもりになるよりも、その子の話を聞きながら、自分の見方を変えられる大人でいたいと思います。

親だけで、全部を担わなくてもいい

その相手は、家庭教師である必要はありません。

祖父母でもいい。

学童の人でも、学校の先生でもいい。

安心して話せる、身近な大人でもいい。

家庭教師も、その一人になれると思います。

親が少し疲れているときに、代わりに話を聞ける人がいる。

いつもなら急かしてしまう場面で、一緒に待ってくれる人がいる。

親自身も、

「最近、宿題のことで毎日けんかになってしまう」

と話せる相手がいる。

子どもの気持ちを大切にするためにも、親の余裕だけに頼らなくていい。

もちろん、気持ちを理解することと、宿題をしなくてよいことにするのは別です。

事情を知ったうえで、ではどうするかを考える。

始める時間を一緒に決めるのか。

難しいところを一緒に見るのか。

量や内容に無理があるなら、学校の先生に相談するのか。

本人の話を聞くことで、次にできることが少し具体的になる。

その過程を、周りの大人も一緒に担えたらと思います。


宿題をしない姿を見ていると、大人はどうしても「宿題をさせる方法」を探したくなります。

でも、その前に少しだけ、

「今、この子の中では何が起きているんだろう」

と考えてみたい。

そして、親にその余裕がない日には、別の誰かが一緒に考えられたらいい。

答えを教えてくれる大人がいる。

答えにたどり着くまで、付き合ってくれる大人もいる。

その両方を、親がいつも一人で担わなくてもいいと思います。

lumeraでも、子どもの話を聞くだけでなく、ご家庭が日々どんな思いで向き合っているのかを聞ける先生との出会いを大切にしたい。

子どもが、

「自分の話を聞いてくれる人がいる」

と思えること。

親も、

「一人で何とかしなくてもいい」

と思えること。

僕は、その両方を大切にできる関わり方を、つくっていきたいと思っています。


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